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今こそ名著 方丈記 不安な時代の心のありかた 要約 あらすじ レビュー 感想

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行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。

この冒頭部分で有名な方丈記は、1222年、鴨長明(かものちょうめい)によって記された随筆です。

清少納言の『枕草子』、兼好法師の『徒然草』と並んで三大随筆というのを国語の授業でやりましたよね。

長明が生きたのは、平安時代末期から鎌倉時代初期という、保元・平治の乱、壇ノ浦の合戦、遷都など歴史的な大事件が起こった激動の時代でした。養和の大飢饉や大火、地震なども起こり、世の中が大きく揺れ動いたのです。

それはまさに新型コロナウイルスの流行、気候変動、経済に対する不安など、さまざまな困難を目の当たりにしている現代のようです。

 

本書の編訳者である前田信弘氏は、『方丈記』の中の長明の言葉から、不安の多い現代人に、「目の前に直面する現実にあわせて、ゆらぐことも必要なのかもしれない」と言っています。

先のことはわからないのだから、その時々で1番良い方法を模索して、行動していくべきだということなのでしょう。

これからの時代に自分がどう生きていきたいのかを、あらためて考えさせられる一冊です。

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今こそ名著 方丈記 不安な時代の心のありかた 要約

激動の時代を生きた鴨長明

『方丈記』の著者である鴨長明が生きた時代は、地震や大火や大飢饉が起こるなど、世の中が大きな変化を遂げた時期だった。

養和の大飢饉

源氏平氏の争乱の中発生した養和の大飢饉の間、人々のあさましい行いを目の当たりにし、その一方で、愛する者のために命を落とす人々を見てきた長明は「人間はどう生きていくべくなのか」考えるようになる。

晩年の暮らし

鴨長明は、30歳を過ぎたころに小さな家を構えた。その後、50歳の春に出家し、山の中でひっそりと暮らすようになった。物寂しい庵に住み、粗末な身なりや食事を楽しんだが、ほかの人にその生活をすすめたいと思っていたわけではなかった。

 

 

感想

この本を読んだ後、方丈記原文にも目を通してみました。実は方丈記を読んだのは初めてでしたが、原文でもなんとか雰囲気はわかりました。

養和の大飢饉での描写は当時の凄惨な状況が淡々とかかれており、深い虚しさを感じさせられます。

都に住む人たちは食料をすべて地方の農村に頼っていたため、農村から食料が調達されなくなった途端すぐに飢えに苦しむことになり、京は死体で埋め尽くされます。

財産を片っぱしから売り捨てて食料に変えようとしても誰も見向きもせず、綺麗な服も家も財産も何の価値も無くなって、1番価値のあるものは身分が低い農民が持っていた粟になった。

このことが強烈に鴨長明の生き方に影響を与えることになったのですが、私も近いうちにこんな時代が来るんじゃないかと思わずにいられません。最近は家族が生きていける量の芋や豆や野菜を自分の畑で作ることがもっぱらの関心ごとで、将来は都会から離れて田舎の山奥で暮らしたいと思っています。

また方丈記の中でこのようなことも書かれています。

権力者は欲深いけれど後ろ盾がなければ軽んじられ、お金持ちは心配事が多いけど貧乏人は嘆き、世間に従えば我が身は苦しく、世間に従わなければ狂人のように見られます。どこに住んでどうすれば心が休まるのでしょうか。

このように何をしても不安から逃れられない人間の虚しさというものが度々現れます。

最後に鴨長明の晩年の様子の記述を現代語訳したものを載せたいと思います。世の中の無常さについて語りながらも阿弥陀仏を唱えても2、3回でやめてしまったりと、俗世間から完全に離れられない様子が人間らしくて好きです。

鴨長明 晩年の様子

私は長らく継いだ屋敷に住んでいましたが、やがて落ちぶれて住み続けることができなくなり、三十歳頃に粗末な庵を作って住まいました。

ままならない世の中を生きるも思い通りにはならず、妻子も親類も官位も俸禄もないので五十歳の春に出家して世捨て人となり、大源山に五年ほど住みました。

六十歳になると山奥に簡単な家を作って生活するようになりました。春は藤の花を見る、夏はホトトギスの声を聴く、秋はひぐらしの鳴き声が聞こえる、冬は雪を愛でる。 読経に身が入らない時は怠け、時に船を眺め、時に琵琶を演奏して歌いました。

私の命も残りわずかとなりました。 私が世を捨て山に入ったのは心を鎮めて悟りを開くためでしたが、私の姿は聖人のようでありながら心は穢れに満ち、修行の成果は愚鈍にも及びません。これは因果の応報か、はたまた煩悩故の狂気でしょうか。

自分に問うても答えは返ってこず、人を救うと言われている阿彌陀仏を口に出して呼んでみましたが二、三回で止めにしました。

今回紹介した本はこちら

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