何かと世間をお騒がせしているCHAGE and ASKA。先日正式に飛鳥の脱退が発表されて、ファンのみなさんは「もうCHAGE and ASKAは見られないのか」とがっかりした方も多いのではないのでしょうか。
わたしも小学生の頃からCHAGE and ASKAをきいてきた1ファンとしていろいろ思うところはありました。
できればなにも書きたくないな~と、毎日CHAGE and ASKAを聴いて聴いて、現実逃避してました。
そしたらね。やっぱり改めて気づくんですよ。その音楽の凄さに。真っ暗な部屋でイヤホンで聴いてみると涙が出るほど壮大で繊細な音でね。一瞬で大自然の中に連れていかれるような。
そしてあの声。まとわりつくような飛鳥の声と、完璧な美しさを纏ったチャゲのハーモニー。
もうCHAGE and ASKAの話もあまりしなくなった頃、バーの片隅でバンド仲間の誰かが急にCHAGE and ASKAの「男と女」をうたいだして。
そしたらみんなシーンとなってね。若い子もたくさんいたんだけど、じっとそのメロディに耳を傾けていて。「あぁ、みんな実はチャゲアス好きなんだな」って思ったこともありました。
腫れぼったい顔をしてろれつまわってないまま話をしてる飛鳥の動画や、なんか妙にすっきりした表情のCHAGEや、ワイドショーお得意の両者の話の食い違いをとりあげたどうでもいい話とか見てるとね。
ほんと安いオモチャみたいになっちゃったのかなって。
半オンスの拳で十分になっちゃったんじゃないかって。
残念というかなんともいえない無力感に襲われるわけなんですが、同時にCHAGE and ASKAが抱え続けてきた苦しみに比べたら自分の悩みなんて全然たいしたことないよなって。
むしろCHAGE and ASKAが色々な苦しみ、しがらみから開放されて喜ぶべきなんじゃないかなとも思うわけです。
そしてこんなに素晴らしい楽曲たちがたくさんの人たちの心に響いて、その人の人生を彩り、助けてきてくれたのなら、飛鳥がクスリをやっていたことなんて宇宙の中のゴミのようなもんだって思います。
長くなりましたが、こちらでは私が愛してきたCHAGE and ASKAの曲を少しマニアックに紹介していきたいと思います。
ぜひ音楽を再生しながら読んでいただければと思います。
太陽と埃の中でとは
太陽と埃の中で(たいようとほこりのなかで)は、CHAGE&ASKAの26枚目のシングル。1991年1月30日に発売された。
アルバム「see ya」の収録曲だったが、ツアーで歌っているうちに人気が出て、シングルとしてリカットされたそうです。
ライブでみんな一緒に歌うためにあるような曲ですよね。実際に曲の後半で大勢で歌っている部分は、CHAGE&ASKAのスタッフなども一緒に歌っているそうです。
太陽と埃の中でについて思うこと
さて。名曲中の名曲が登場です。この曲はファンだけでなく様々なアーティストからもとても高い評価をうけているのですがなぜなのでしょうか。
まず、テーマが「男女の愛や恋」じゃない。というのが人気の秘密じゃないかなと思います。
歌っていうのは何かと愛や恋だと言いたくなるもので、CHAGE and ASKAもそんな曲はたくさんあります。
でも太陽と埃は違います。
追いかけて 追いかけても
つかめないものばかりさ
っていうね。青い春のころのようなストレートな歌詞とシンプルかつ力強いメロディ。Yah Yah Yahっぽいのりの中にあるものすごく繊細な音づかい。
これはもう1秒ごとに奇跡がおきてるような、こんな曲を作っちゃうなんてすごいよ飛鳥さんは。
気になる歌詞を妄想解説
名前も国もない
生まれたての元気
all right どんな羽根をくれるの
壮大なオーケストラを聴いているかののようなイントロから、生まれたて、元気、羽根と、とても前向きな歌詞が続きます。
生まれたての赤ちゃんを見てこの子にはどんな素晴らしい未来がまっているんだろうと感じさせるような内容ですよね。
all right どんな~のコード進行も
G#m7 C#m7からAディミニッシュにいっちゃうところが飛鳥っぽくてたまらないですよね。
僕らはいつだって
風邪をひいたままさ
オイルのきれた未来のプログラム
大事にまわしてる
僕らはいつだって風邪をひいたままではいないんですけど。どういうことなんでしょう。風邪の症状が続く場合は早めの受診をおすすめしますけどね。
ちょっとよくわからないので次の歌詞を見てみると、オイルのきれたとあります。風邪をひいたまま、オイルのきれたと、いずれにせよあまりいい状態ではない感じですよね。
コード進行もオイルがきれたあたりからマイナーが続いてちょっと不穏な感じで。
そもそもがさびついてギシギシいってる未来なのに、それに向かってに生きていこうだなんて馬鹿馬鹿しいけど、
それでもやっぱり走り続けなくてはならない感じとサビに向かって突き抜けるトランペットの音が重なりますね。
太陽と埃のにおいを覚えてる
さて。ここでタイトルにもあるワードが登場です。ここなんですよ。ふつう埃は床の上とか布団とか部屋の中にありますよね。太陽がさんさんと照らす下で埃っぽいわ~ってなることないですよね。
それなのになぜ太陽と埃なのか
これはわたしが推測するに「太陽と埃」というのは宮崎少年(飛鳥)特有の青春時代の象徴だと思うのです。
それは何かというと。
剣道です。
ファンの方ならご存知の方も多いかと思いますが、飛鳥さんは小学生から高校3年生までずっと剣道を続けていました。インターハイに出場するほどの腕前でまさに青春を剣道に捧げてきた人なのです。
さて、なぜ剣道と埃が結びついてくるのかという話なんですが、ここからは勝手な考察なんですけど、
埃って普段あまり見えないけど、光が差すと部屋に舞っている埃がキラキラ見えて、こんなにあるんだってびっくりすることってありますよね。
剣道部の部室か格技場かわかりませんけど、窓からさす太陽の光に照らされて埃がキラキラ見えていたんじゃないかなと。そして汗と埃の入り交じったような独特なにおいをよく覚えているんじゃないかなと。
そして1番にもあった「どんな羽根をくれるの」と同じように「どんな種子を蒔いたの」と未来を暗示するようなワードでおわり、そしてやはり1番と同じように
僕が君についたあの日の嘘よりも
上手に上手にはぐれていく
涙もさそわずに
なにかが離れていってる。それも本当は悲しまなくてはいけないことなのに、涙もでなくて虚しい感じが表現されているような気がします。
ここからはポンちゃんの超妄想になりますけど、
かつて「夢を追いかけるのにお前は邪魔なんだよ‼️別れてくれ」と嘘をついて誰かを泣かせたことがある。それは本当は邪魔なんかじゃなくて、幸せにできないと思ったから。それなのに実際手にした夢なんてものは、大人たちがお金を手にいれるために動き、だましていくだけで、そのたくみな嘘に涙なんかながれることもない。
本当に勝手な妄想ですけどね、そんな感じをうけます。
Aメロの剣道少年が純粋な気持ちで夢をおいかけていたシーンと対比され、ここの歌詞は痛いほど胸に突き刺さってきます。
けど、やっぱり夢を追いかけることしかできない。と前向きに戻ってサビが展開されていきます。
そしてCメロ
風吹く丘の少年
すべての夢を手にしたような
忘れない
ここで急に埃とは無縁の風景が登場します。
埃にまみれて夢をおいかけていた俺は今、まるですべての夢を手にしたような気持ちで風の吹く丘に立っているけれど、夢を追いかけていたあの頃の気持ちは忘れないよ。
まぁ、そんなところじゃないかと思います。
最後の英語の部分はとっても簡単な単語なのになんか格好いいんですよね。
DAY AND NIGHT TIME
RAIN AND SUNSHINE
I SEEK MY DREAM EVERYWHERE
昼でも夜でも
雨でも晴れでも
どこにいても自分の夢を探し求めている
ということで、なにも知らない少年の頃のような純粋な気持ちというものは、大人になるにつれ忘れてしまうけれど、自分の夢を追いかける気持ちは忘れずにいたい!というのがこの曲のテーマなのではないかと思います。
おわりに
なんだか熱くなりすぎてしまって読みづらいところもあるかとおもいますが、CHAGE and ASKAへの思いをそのままの勢いで書き綴ってみました。
夢を追い続けていたあの頃に聞いていた「太陽と埃の中で」は、たとえCHAGE and ASKAがいなくなっても、私の中でいつまでも色褪せることなく生きつづけていくことでしょう。
機会があればまたCHAGE and ASKAの楽曲についてふれていきたいと思います。
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